中村工業を題材にした短編小説「鋼の名工」
この作品は中村工業を題材とした短編小説で、2015年の心斎橋大学 修了作品コンペで優秀賞を受賞しました。
みなさん、ぜひご覧ください。
鋼の名工 (作者:片山吉啓)
唸り声をあげて走る二十トン越えの大型トラックが、排気ブレーキの高音と共に長い車体を小刻みに振動させていた。車線を埋めつくした何台もの車輌が、整然と並んで信号待ちの列を伸ばしていく。阪神の大動脈である国道43号線が横断する大正区泉尾。創業から五十二年、ワイヤロープの端末加工を行っている中村工業がある。
そこに足を踏み入れると、鉄と油の混ざった匂いが鼻に触れてくる。滑らかな油の光沢に包まれたワイヤロープは、木製ドラムに幾重にも螺旋状に巻かれ、大型車輌のタイヤが重なるようにうず高く並んでいた。そのそびえる姿に圧倒されて、自分が縮んだ様な気分になる。煤けた重量鉄骨が支える屋根の下には、ヘルメットを被った二人の男が作業していた。黒い半袖シャツの引き締まった袖からは、丸太のような腕が豪快に突き出ていた。丘のように隆起した胸筋や背筋は、肌にはりついたシャツに躍動の影を浮かべている。
彼らの前には、無数に捻られて集まった銀灰色に光る鋼線が、鎌首をもたげた鋼の大蛇の如く天井から迫りくるように吊り下がっていた。長さ二十五メートル、重さ千二百キロ。ストランドと呼ばれる鋼線の束が六本、螺旋状に撚られた直径八十ミリの鋼鉄製ワイヤロープ。それに立ち向かうように一人の男が、スパイキと呼ばれる金属バットの様な鉄製の杭を両手で持ち、撚られたストランドとの隙間に突きたてた。堅牢な結束に一度は跳ね返されるが、ひたすら腕力で先端を押し込んでいく。伸張の限界に達した男の力瘤は、微かに震えて血管が浮き出るまでに張りつめた。
「その調子や、もっと腰を使え」
相方の声で、スパイキを操る男の顔が力みで歪む。徐々に男の圧力に屈した鋼の束が、粘りのある硬い金属音の悲鳴をあげて口を開いた。そこへ鉄棒のようなストランドを、相方がすばやく差し込む。裏から出たそれを元の束へ巻き込み、二人は綱引きのように後ろへ体重を乗せて引きつけた。金属が摩擦で焼けるような乾いた音が鳴る。
「よっしゃ。次や」
スパイキを持ち直した男は、回転させて更に上部の撚りに隙間を作る。ぐいと開かれたそこに、再びストランドが差し込まれた。鋼の大蛇を手なずけるように、二人は呼吸を合わせて身体を入れ替えながら回転していく。その息遣いは、夏祭りで炎を囲んで舞っているかのようだ。ストランドから滲み出る油が、二重にはめた白い軍手を重油に浸したように変色させ、体中から発する熱気と滴り出た汗が、シャツの肩から背中を濃い黒色に染めていく。作業は一時間以上かけて繰り返された。
「おい。あげてくれ」
天井クレーンのモーター音が敷地に響く。重々しく引き上げられたワイヤロープの先端には、馬の胴回りほどの輪ができていた。玉掛索(アイスプライス)と呼ばれる加工だ。この端末の輪がなければ、どんな丈夫なワイヤロープも固定が出来ず、働く事ができない。
男達は、玉掛索の最も負荷のかかる継ぎ目に、巻き差しと呼ばれる編込みを施していた。玉掛索とは、ワイヤロープの先をU字に曲げて輪を作り、その先端を解いてばらけた六本のストランドを、元のワイヤロープに編込んで輪の形を固定する。撚りあったストランドの隙間に別のストランドを編込む事で、膨らんだ鋼の束が、握手するように強固な結合を生み出す。男達は満足気な表情で、象の鼻でも撫でるように編み具合いを確かめていた。
彼らの得意とする加工は、太さ五十ミリ以上の業界では『太物』と呼ばれる大口径で、吊られるものは数十トンを越える超重量物ばかりだ。それだけに使用される現場での安全性が最も重要になる。重量に応じた安全を確保するためにロープは太く重く、そして硬くなるが、繊細な編込み作業は機械には出来ない。頼りになるのは人の技術と腕力のみだ。手で編む品質には、国家資格のロープ加工技能士一級を持った職人が安全に責任を持つ。作業中に声をかけて指導していたSさん(三十二歳)は職歴十四年の有資格者だ。鋼鉄のロープとの格闘で鍛え抜かれた彼の身体は、今はストランドを軽くひと捻りするが、勤めた当初の経験や体力では簡単にいかなかった。初めは上手くさばけない鋭い鋼線の先端に、腕を何度も切り刻まれた。夏の猛烈な暑さの中で、湿気と喉の渇きに耐えながら黙々とスパイキを回して、冬は底冷えする厳しさの中で力の限りストランドを引き続けた。ひたすらワイヤロープと向きあう毎日。「速く、うまく、確実に」という修練の積み重ねが、熟達した技術を可能にする鋼の肉体を造り上げた。
そんな彼に、一番の愉しみを訊いた。
「やっぱり、仕事終わりのビールですかね」
そう照れながら答えてくれた。製品を上手く仕上げた日は言うまでもないが、黙々と全身を使って『ものづくり』に没頭した後のビールは、臓腑に染み込んで最高だという。
(注:作者の了解を得て掲載させていただきました)