東京製綱の歴史
西暦 | 日本年号 | 適用 |
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1887年2月1日
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明治20 | 2月1日創立総会開催 商号:東京製綱会社 資本金:7万円 本社・工場:東京府麻布区麻布本村町143-146番地 社長:渡部 温 目的:各種綱具の製造 |
1887年3-10月
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イギリスへ製綱機械一式を発注 | |
1887年4月21日 |
国内機により麻綱製造を開始、芝・紅葉館で開業式を挙行 | |
1888年2-5月
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明治21年 | 注文中のイギリス製製綱機、蒸気機関、相次いで到着 |
1888年3月30日
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麻布新工場竣工、設計・辰野金吾工学博士、施工・清水方(現・清水建設) | |
1888年4月11日
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招聘技師ウイリアム・ブルーグ着任 | |
1888年10月6日
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新設機械、蒸気機関による運転式挙行 | |
1888年
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この年、下記特約店を新設 大村五左衛門、宇田川清兵衛、鈴木弥兵衛(以上東京)、渡辺熊四郎(函館) |
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1889年2-4月
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明治22年 | イギリスのサムール・ローソン社への追加製綱機到着 |
1889年3月
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横須賀海軍造船所所属製綱機械の払下げを受け、以後、海軍の軍用機は当社製品を採用することになる | |
1889年11月25日
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海軍払下げのイギリス製製綱機械を麻布第二工場に据付け完了、運転を開始 | |
1889年
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この年、以下の販売特約店を増設 大高政兵衛、苗木重助(以上東京)、鈴木市三郎(横浜)、函館船具会社(函館)、松田商行(長崎) |
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1890年1月
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明治23年 | 呉・佐世保海軍鎮守府へ製品買上げを申請、受理される |
1890年7月11日
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第3回内国勧業博覧会において、当社製品に一等進歩賞が授与される | |
1890年
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この年、わが国へ香港製ロープが大量に流入し、当社は販売価格の引下げで対処する | |
1890年
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当社製品、初めてシンガポール、上海、ボンベイ、カルカッタ等に輸出される | |
1890年
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小松喜重、藤山要吉(以上小樽)、岡田伝五郎(福山)と特約販売店契約を結ぶ | |
1891年
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明治24年 | この年、農商務省農務局より、当社製捕鯨用綱の成績優良なる旨の成績証明書を下附される |
1891年
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海軍各鎮守附、当社製品を随意契約によって買上げることとなる | |
1891年
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牧口徳太郎(越後・荒浜)と特約販売店契約を結ぶ | |
1892年8月17日
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明治25年 | 日本郵船、東京製綱製品と香港製品の耐力試験を行なった結果、当社製品の優秀性を実証、以後、同社のマニラロープは全て当社製品と決定する |
1892年8月25日
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北海道物産共進会で銅牌を授与される | |
1892年
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この年、米国シカゴ大博覧会に当社製品を出品 | |
1893年10月2日
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明治26年 | 商号を東京製綱株式会社と改称 |
1893年11月6日
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従来の委員制を廃止、新たに、取締役として渡部温、渋沢栄一、益田孝の3名、監査役に浅野総一郎、深山小兵衛(後に正と改名)の2名を選任、取締役の互選により、渡辺温、社長に就任 | |
1894年2月9日
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明治27年 | 京橋区裁判所に株式会社の設立を登記 |
1894年2月13日
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製品の需要増加に対応するため初めて夜間操業を行なう | |
1894年11月29日
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神戸市に兵庫販売店を開設 | |
1895年3月4日
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明治28年 | 神戸市に兵庫分工場を建設することに決定、同工場用機械類を英国に発注 |
1895年7月11日
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第4回内国勧業博覧会において、一等進歩賞が授与される | |
1896年1月23日
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明治29年 | 兵庫販売店を大阪に移転、大阪販売店として開店 |
1896年3月2日
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兵庫分工場竣工、開業式を挙行 | |
1896年4月11日
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創立10周年祝賀式を挙行 | |
1897年4月26日
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明治30年 | 臨時株主総会で鋼索製造開始を決定 |
1897年5月21日
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鋼索製造の機械を英国に注文 | |
1897年8月19日
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深川分工場竣工(国内初のワイヤロープ製造を開始) | |
1898年1-6月
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明治31年 | 英国に注文の深川分工場用機械、順次到着 |
1898年6月21日
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招聘技師ウイリアム・ヘンリー・ウード、職工長ジョセフ・ウィルソン着任 | |
1898年7月13日
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取締役社長渡部温、病気のため社長を辞任(取締役は留任)、渋沢栄一、取締役会長に、山田昌邦、専務取締役に就任 | |
1898年8月7日
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前社長渡部温死去(享年61歳) | |
1898年10月20日
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深川分工場設備完成稼働、東洋におけるワイヤロープ製造の嚆矢となる | |
1898年
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この年、米西戦争のため、原料マニラ麻の輸入途絶、麻綱工場、一時運転を休止 | |
1899年
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明治32年 | この年、米西戦争の影響によりマニラ麻の輸入ますます困難となり在荷一掃、相場6~7割高となる |
1900年2月14日
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明治33年 | 麻布工場で行員に出勤奨励のための職工奨励金を設ける |
1900年5月30日
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英人技師ウリリアム・ヘンリー・ウード期限満了、解任 | |
1901年10月24日
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明治34年 | 海軍大臣および各鎮守府に対し当社製綱索専用願を提出、受理される |
1901年
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この年、各国のマニラ麻買付け殺到、相場暴騰で原料入手困難となるが、製品の売行きは好調。本社および兵庫分工場、繁忙を極め、収益著増 | |
1902年5月12日
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明治35年 | 深川分工場の拡張を計画、焼入室20フィート式を50フィート式に改造 |
1902年
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この年、本社工場、自家用電灯のための発電機据付けに着手 | |
1902年
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深川分工場の綱索、横須賀造船所において試験を重ねた結果、英国最上の製品より優良であるとの証明書を受ける | |
1903年1月8日
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明治36年 | 守谷商会と特約販売契約を結び、ワイヤロープの磐城茨城地方への販売を委託 |
1903年7月1日
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大阪で開かれた第5回内国勧業博覧会において、名誉銀牌を授与される | |
1903年
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この年、フィリピン・マニラ市の商業館からの要請で、当社製の麻綱および綱索の標本十数点を出品 | |
1903年
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石油鑿井用綱の需要増に応ずるため、麻布本社工場に周5~10インチの製綱に適するストランディング・マシンおよびクローシング・マシン並びに耐力試験機各1台を発注 | |
1904年10月27日
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明治37年 | 佐治純一考案の麻の葉にワイヤロープの断面を組込んだ会社商標を登録 |
1904年
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この年、兵庫分工場に55インチストランディング・マシンおよび55インチクローシング・マシン各1台を設備することに決定、英国ローソン社に発注。 また、煉瓦建工場を増築 | |
1904年
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深川分工場に12フライヤー製鋼機、1,600貫掛台秤各1台増設。また、焼入室、乾燥室を増設 | |
1905年
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明治38年 | この年、本社工場にハンド・スピンナー20台、兵庫分工場にハンド・スピンナー5台を増設 |
1905年
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本社および深川分工場に動力用汽罐(ボイラー)1台を設備することとし、英国へ発注 | |
1906年2月12日
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明治39年 | 福岡県小倉市外に鋼索製造の小倉分工場(ワイヤロープ製造)を建設することを決議、工場敷地4,659坪を購入 |
1906年4月21日
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本社構内において20周年式典挙行 | |
1906年4月22日
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芝紅葉館において祝宴を催す | |
1906年12月28日
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臨時株主総会開催、月島製綱株式会社(資本金50万円)を合併のため20万円増資、資本金を100万円とすることを決議。合併条件当社株1に対し月島製綱2の割合。また、同工場を月島分工場とする | |
1907年7月6日
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明治40年 | 東京勧業博覧会において名誉金牌並びに賞状を授与される |
1908年5月16日
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明治41年 | 小倉工場に据付けの発注機械、相次いで到着、設備完成。開業式を挙行 |
1909年5月28日
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明治42年 | 臨時株主総会開催、日本製綱株式会社(資本金100万円、内払込金42万6,050円)の合併と同時に15万円増資し、資本金115万円とすることを決議。合併条件当社株1対日本製綱株2.日本製綱を洲崎分工場とする。 |
1909年7月10日
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臨時株主総会開催、取締役会長渋沢栄一、辞任 | |
1909年8月30日
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臨時株主総会開催、本社を京橋区三十間堀1丁目2番地に移転と決定。同時に、従来の分工場を工場に改める | |
1909年9月
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三宝商会設立 | |
1910年3月
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明治43年 | 兵庫工場長山田進、マニラ麻輸入業者土生四郎を帯同しフィリピンを視察 |
1910年8月10日
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臨時株主総会を開催、麻布工場の廃止を決議、麻綱工場は洲崎、月島、兵庫の3工場となる | |
1910年10月1日
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大連出張所新設 | |
1910年10月8日
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横浜販売店を開設 | |
1910年
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三井万田坑の堅坑捲綱に小倉工場製の鋼索(周4インチ半ラング撚り)初めて採用される | |
1911年7月26日
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明治44年 | 東京湾に大海嘯起こり、月島、洲崎、深川各工場に被害、特に月島工場の被害甚大 |
1912年3月21日
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明治45年 大正元年 |
洲崎工場、類焼、実損害約5万円。直ちに復旧工事に着手、7月建築および機械据付けを完了、8月中旬から操業に入る |
1912年10月
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台湾繊維設立 | |
1913年6月
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大正2年 | 大連出張所廃止、福昌公司(相生由太郎)に同地域の販売を委託する |
1913年
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この年、下関販売点を開設 | |
1914年3月20日
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大正3年 | 東京府主催東京大正博覧会に出品7月10日 名誉大賞牌を受領 |
1914年3月
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英国ロイド協会、当社製鋼索の優秀性を認め、その認定工場に指定。世界一流品の地位を獲得 | |
1914年4月
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ロシアから30番線(0.31mm)極細硬鋼線100tを受注 | |
1914年10月
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麻綱工場の集約化で洲崎工場の麻綱設備を月島工場に移転することとなり、月島工場の増築に着手 | |
1914年11月
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国産奨励会へワイヤロープを出品、12月「国産の指導的製品」として、感謝状を受領 | |
1914年
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この年、深川工場移転予定地として東京府南葛飾郡大島町の約2万坪の用地を整備完了 | |
1914年
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第1次大戦の影響で各製品の需要飛躍的に増大 | |
1915年1月
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大正4年 | 深川工場増築落成、製線機械増設、原動力装置を施す |
1915年2月
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月島工場の増築落成、洲崎工場の製綱設備を移転 | |
1915年4月
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月島工場に倉庫増設竣工 | |
1915年5月
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小倉工場の製線および製綱工場増設落成 | |
1915年9月27日
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臨時株主総会開催、定款の営業目的を拡大変更、線材から鋼索までの生産一貫体制構想の発表 | |
1915年10月
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東京府南葛飾郡大島町に大島製鋼所建設着工 | |
1915年11月15日
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洲崎工場の鋼索設備完成、試運転開始 | |
1916年2月
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大正5年 | 小倉製鋼所敷地購入、総坪数4万2,300坪 |
1916年5月18日
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海事水産博覧会において名誉大賞牌受領 | |
1916年5月
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大島製鋼所第1期工事落成 | |
1916年7月6日
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大島製鋼所の開業式挙行、鋳鋼、鍛鋼の製造を開始
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1916年8月1日
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処務規定を制定、総務・営業・技術の3部とし、深川・洲崎・月島の3工場および大島製鋼所の製品販売業務を本社営業部商務課に統括
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1916年9月19日
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小倉製鋼所の製鋼工場一部竣工、平炉1基稼働を開始
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1917年3月31日
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大正6年
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下関販売点を廃止
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1917年3月
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小倉製鋼所、条鋼製造を開始
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1917年4月5日
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築地精養軒において創業30周年祝賀会を開催
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1917年4月
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大島製鋼所、ロイド認定工場となる
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1917年5月13日
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小倉製鋼所起業式挙行(当社創立満30周年および小倉工場開業10周年祝賀会を兼ねる)
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1917年5月22日
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取締役技術部長藤倉見達、技師石谷譲二、米国へ出張
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1917年5月31日
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横浜販売点を廃止
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1917年6月17日
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大島製鋼所内の製線工場完成、操業を開始
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1917年6月
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日本銑鐵設立、小倉製鋼所内に20t溶鉱炉を作り銑鉄の製造に着手(7月4日操業開始)
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1917年8月30日
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臨時株主総会開催、大島製鋼所を大川平三郎、大倉喜八郎、浅野総一郎に譲渡することを決定
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1917年10月1日
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月島、洲崎、深川、大島製線各工場、暴風雨による被害受ける
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1917年10月
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帝国特殊煉瓦設立
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1917年
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この年、業績向上、臨時、特別を加えて4割5分配当を行なう
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1918年5月25日
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大正7年
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小倉製鋼所線材工場完成、作業開始
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1918年6月
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兵庫工場の増設完了、作業開始
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1918年10月21日
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臨時株主総会開催、小倉製鋼所を浅野総一郎に譲渡することを決議
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1918年
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この年、深川、洲崎、大島製線の3工場を1カ所に集中するため、深川工場隣接地1万2,000余坪購入
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1918年
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兵庫工場で岡井式惓取機、同荷造機を発明
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1918年
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業績向上、利益率127%、特別配当1割5分、臨時配当3割を加え6割配当を行なう
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1919年1月25日
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大正8年
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東京針金工業設立
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1919年3月31日
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横須賀出張所を廃止し本社商務課に吸収
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1919年4月5日
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海軍中将伏見宮博恭王殿下、深川工場および月島工場を視察
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1919年4月30日
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大島製線工場を廃止して深川工場に合併
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1919年
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この年、アメリカ線材の使用を開始
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1920年3月
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大正9年
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福岡市で開催された工業博覧会で、名誉大賞牌を受領
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1920年12月1日
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不況対策のため洲崎工場を一時閉鎖
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1921年6月16日
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大正10年
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本社を深川区東大工町48番地に移転
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1921年10月5日
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旧本社営業所建物を富士製紙lに譲渡
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1922年7月10日
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大正11年
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平和記念東京博覧会で、名誉大賞牌、名誉賞牌、金牌、褒状を授与される
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1923年2月12日
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大正12年
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京橋区南鍋町1丁目6番地に出張所を設置、営業事務を行なう
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1923年3月
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日東製鋼川崎工場の土地・建物・機械の一部を買受けることに決定
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1923年3月
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三宝商会は三宝商事と改称
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1923年7月31日
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洲崎工場敷地の一部が東京市特許線用地として収用されることになったため、同工場を廃止して、機械設備を深川工場および小倉工場に移転を決定
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1923年7月
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深川工場でロックドコイルロープ用素線の試作に成功
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1923年9月1日
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関東大震災により本社、出張所、深川・月島・洲崎各工場類焼、深川工場では圧死者数名を出す
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1923年10月26日
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京橋区南鍋町1丁目6番地仮建築中の本社事務所落成、営業事務所を移転
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1923年12月30日
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1923年
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この年、栃木県鹿沼町(現・鹿沼市)に合資会社鹿沼麻糸工場設立
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1924年9月5日
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大正13年
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臨時株主総会開催、横浜製綱(資本金200万円、大川平三郎会長)との合併を決議、合併条件当社株2に対し横浜製綱株7の割合
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1924年12月15日
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本社を京橋区南紺屋町皆川ビルに移転
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1925年9月15日
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大正14年
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深川区東大工町48番地宅地1万5,808坪を内務省に売却、移転登記完了
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1926年2月16日
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大正15年
昭和元年 |
製綱労働組合を公認することに決定、団体交渉権を認める
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1926年7月
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川崎工場内に研究所開設
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1926年8月31日
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深川工場を廃止、機械設備を川崎工場に移転
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1927年1月31日
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昭和2年
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横浜工場の鋼索部を川崎工場に移転
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1927年10月1日
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組合機関紙『製綱労働時報』発行(年2回)
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1927年10月20日
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横浜工場の麻綱部を川崎工場に移転。京浜地区に散在する工場の集中計画完了、震災前に優る生産能力を回復
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1927年11月
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川崎工場落成記念の祝賀会と工場の公開披露を行なう
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1927年
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この年、「丸線三角心フラット形ロープ」完成し満鐵撫順炭砿へ納入
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1927年
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石油鑿井、エレベータ用に平行撚ロープ6×S(19)の製造開始
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1927年
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海軍の要望により航空機用ロープの製造開始
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1928年5月19日
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昭和3年
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大礼記念国産振興東京博覧会において優良国産賞牌を受ける。なお、時事新報社よりも賞牌を受ける
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1928年12月9日
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大礼記念京都博覧会において、優良国産名誉大賞牌を受ける
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1929年7月1日
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昭和4年
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本社を日本橋区呉服橋3丁目5番地1,槇町ビルに移転
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1929年12月
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大村商店再建のための資本参加
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1930年5月
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昭和5年
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日本海海戦25周年記念「海と空」博覧会で名誉大賞牌を受ける
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1930年
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この年、シノサイ式形付法(不反撥鋼索製造法)の開発
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1930年
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わが国最初のケーブルカー・生駒鋼索鐵道にラッチ社製品の替わりに当社のフラットンド・ストランド・ラングスレーロープ径30mmが採用される
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1931年7月9日
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昭和6年
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不反撥性鋼索製造機の専売特許を得る
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1931年11月11日
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元会長渋沢栄一死去(享年91歳)
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1931年
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この年、玉村式索道設立
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1932年5月5日
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昭和7年
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帝国発明協会主催第4回発明博覧会で当社製品に下記の褒賞が授与される
大賞(最高賞) 不反撥性鋼索、フラットンド・ストランド・ロープ 有功賞 防腐マニラ綱、ワイヤ入り漁業用麻綱 褒賞 結束機 三等賞 陳列装飾 |
1932年
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この年、前年の金輸出再禁止によって景気やや好転、当社は製品の改良とともに販路を拡大する
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1932年
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海軍の要請により川崎工場内に「海軍機雷関係兵器鍛造工場」を設置する
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1933年
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昭和8年
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この年、業績次第に向上
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1934年
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昭和9年
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この年、浅野小倉製鋼に対する債権残246万円完済され、利益率向上、下期29%に回復、特配2分を行なう
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1934年
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東洋製綱の株式1/3を譲受ける
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1935年4月2日
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昭和10年
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常務取締役戸村理順、日本鐵鋼協会より香村賞を受賞
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1935年7月2日
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三谷麻糸工場設立
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1936年9月2日
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昭和11年
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三谷麻糸工場は社名を日東麻綱に改称
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1936年
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この年、川崎・小倉工場大拡張工事竣工
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1936年
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引続き業績順調、利益率前期19%、後期20%となる
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1937年5月25日
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昭和12年
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名古屋汎太平洋平和博覧会において、名誉大賞牌を受ける
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1937年
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この年、創立50周年に当たり、上期記念特別配当5分を行ない、役員以下従業員に慰労金を贈る。また、記念事業として、陸海軍に恤兵金5万円を献金
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1937年
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9年に続き東洋製綱の株式を関西製綱より譲受け株式所有2/3となる
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1937年
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東洋製綱、アメリカ形(0.037インチのブロンズ鍍金線)ビードワイヤの製造に成功する
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1937年
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明治41年からこの年まで177橋に吊橋用ロープ納入
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1939年4月27日
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昭和14年
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満州鋼索を創立(資本金国幣350万円)、本社、満州国奉天市大和区揚武街三段13号地
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1939年4月29日
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恩賜財団軍人援護会へ10万円を寄付、引続き陸軍省へ5万5,000円、財団法人結核予防会へ3万円を寄付
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1939年
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この年、川崎工場で「ロックドコイルロープ」の試作品完成
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1939年
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日東麻綱、鹿沼麻糸工場を合併
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1940年2月19日
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昭和15年
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川崎工場において私設保税工場の特許を受ける
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1940年11月10日
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紀元2600年式典に際し、当社産業報国会は永年勤続者表彰式を挙行、48年勤続の池田大次郎外993名を表彰
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1940年
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この年、満州鋼索と満州製綱が合併、満州製綱(資本金国幣600万円)として新発足
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1940年
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業況繁忙、利益率72%
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1941年3月3日
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昭和16年
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満州製綱、操業を開始
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1941年4月
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賃金月額160円未満の職員と工員に家族手当支給
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1941年5月1日
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経理方式を原価計算会計に改める
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1941年10月20日
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川崎工場の一部、海軍監理工場に指定される
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1941年
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この年、米国の経済封鎖により、マニラ麻・黄麻の輸入途絶、代替繊維の需要旺盛
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1941年
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鋼索部門は原料・電力・労力の不足顕著となる
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1941年
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業績向上、上・下期とも利益率72%
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1942年1月
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昭和17年
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陸軍省よりマニラで接収中の麻綱工場委託経営の命令を受け、兵庫工場長岡堅治外11名派遣を決定
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1942年1月
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森岡伸線工場創立
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1942年4月
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日立鉱山へ、「ロックドコイルロープB形」径38mm長さ516m、国産第1号品として納入
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1942年5月19日
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鋼索製造の朝鮮工場、設立認可される
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1942年5月
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5月エルサルデ製綱工場、6月マニラ・コーデージ工場の操業開始(~6月)
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1942年6月
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川崎工場、陸軍監理工場に指定される
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1942年8月7日
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日東麻綱の三谷・鹿沼工場を買収、それに伴い粟津工場を閉鎖
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1942年9月1日
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愛知県蒲郡に工場建設(日東麻綱三谷工場を買収転換)、川崎工場の麻綱部を移し蒲郡工場とする
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1942年10月
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川崎工場に海軍関係の細物ロープ専用工場建設
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1942年12月
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海軍艦政本部より注文のシンガポール造船所浮ドック用係留索、径109mm、99mm総重量216tの世界最大級ロープ完成
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1942年
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この年、三井三池四ツ山立坑にコンセントリックロープ径60mm長さ490m 2丸納入
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1943年1月20日
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昭和18年
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熊谷工場地鎮祭
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1943年3月10日
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朝鮮工場地鎮祭
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1943年12月14日
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熊谷工場操業開始
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1943年12月
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前橋工場(竹内撚糸工場を整備転換)操業開始
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1944年1月14日
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昭和19年
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四国(川之石)工場建設要員任命される(建設委員長、飯村志郎)
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1944年1月17日
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川崎・小倉両工場、軍需工場に指定
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1944年2月16日
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臨時株主総会開催、笹村製綱所鋼索工場の買入れを決定
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1944年3月
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三宝商事解散
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1944年4月1日
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笹村製綱所鋼索工場を買収し大阪工場として発足
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1944年4月20日
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蒲郡・前橋・熊谷・兵庫・鹿沼の5工場および川崎工場の研究部、軍需工場に追加指定
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1944年4月
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川之石工場着工
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1944年6月16日
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北九州地区、米軍機による第1回爆撃を受けたが小倉工場被害なし
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1944年7月
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朝鮮工場、第1期工事の一部完了し操業開始
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1944年10月1日
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本社を日本橋区小舟町2丁目3番地へ移転
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1944年11月
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川之石工場、ストランド生産を開始(小倉工場より素線を移送)
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1944年
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この年、熊谷信四郎の製線工場を拡充転換し市川工場とする
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1944年
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上・下期とも利益420万円台を計上
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1945年3月17日
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昭和20年
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兵庫工場、空襲により焼失
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1945年4月25日
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川崎工場、空襲を受け被災甚大
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1945年4月
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鹿沼工場完成
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1945年8月13日
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川崎工場、ロケット砲、機銃掃射の猛攻撃を受け完全に機能停止
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1945年10月16日
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熊谷工場の閉鎖を決定
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1945年10月
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川之石工場を産業設備財団へ返還する
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1945年
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この年、川崎工場の復旧に努力、上期の利益金334万6,000円を計上する
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1946年2月15日
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昭和21年
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本社を京橋区銀座西3丁目1番地に移転
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1946年3月
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東京帝国大学へ超硬合金ダイス自家製造の研究を委託する
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1947年2月1日
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昭和22年
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創立60周年記念日
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1947年7月
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森岡伸線工場、小倉製線に改組
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1947年10月
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超硬合金ダイスの第1回試作品を製造
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1947年12月15日
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三宝商事設立(再発足)
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1948年4月1日
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昭和23年
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本社を台東区浅草橋2丁目3番地に移転
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1948年
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この年、原料難緩和、石炭・電力事情好転により下期には鋼索部の生産3割増、売上金額倍増、麻綱部も生産倍加、売上金2倍半に達し、上期利益405万円、下期利益1,051万円を超える。利益率上期27%、下期70%
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1949年5月1日
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昭和24年
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大阪工場を分離して、大阪ロープ工業(資本金300万円)を設立
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1949年8月
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常願寺川のタワーエキスカベーター1号機に「フラット形ロープ」初めて使用される
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1949年9月
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超硬合金ダイスの自社生産始める
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1949年
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この年、25年にかけてフィラー形平行撚りロープの需要急増
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1950年6月17日
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昭和25年
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企業合理化により人員2割(439名)を整理
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1950年
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この年、下期、鋼索、麻綱とも統制撤廃
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1951年4月6日
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昭和26年
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福昌公司設立
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1951年5月17日
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取締役社長三木龍彦、ドイツ、スウェーデンなど西欧の業界および炭坑視察に出発
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1951年6月12日
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大正15年に労働組合結成後最初の72時間ストライキを決行する(~14日)
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1951年
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この年、ワイヤロープの線径計算方式を確立する
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1951年
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27年にかけて川崎、小倉両工場の叩きダイスを超硬合金ダイスへ全面的に切換える
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1951年
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業績さらに向上、上期の利益2億100万円を超えて利益率201%、下期4億100万円と倍増、利益率401%
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1952年5月1日
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昭和27年
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合繊ロープ「トワイン」の試作に着手
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1952年8月6日
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太平興産設立
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1952年8月26日
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取締役技術部長飯村志郎、技術部参与庄司審、西欧および米国へ機械購入並びに業界視察に出発
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1952年8月
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川崎工場の電気鍍金設備稼働を開始する
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1952年10月
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三木社長が第1時発注した西ドイツ・ヘルボーン社製連続伸線機2台到着
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1952年
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この年、蒲郡工場に合成繊維ロープの生産設備を行なう
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1952年
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上期の利益率406%と引続き好調
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1953年1月7日
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昭和28年
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常務取締役増田栄次、台湾業界視察に出発
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1953年4月
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蒲郡工場に国際電機との共同研究で高周波熱処理装置を完成
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1953年7月
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西ドイツMAN社に鋼索の1,000t引張試験機を発注する
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1953年7月
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クルップ・ラインハウゼン社製のロックドコイルロープ専用撚線機到着
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1953年8月
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飯野海運のニューヨーク定期船「康島丸」「常島丸」にナイロンホーサー径50mm長さ200mを納入
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1953年10月
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相互貿易経由でソ連通商代表部から戦後初めてワイヤロープ500t受注する
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1953年12月
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西ドイツへ第2次発注の高速度撚線機、連続伸線機逐次到着
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1953年
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この年、鋼索部門による第1次新鋭輸入機械およびロックドコイルロープ専用撚線機稼働に入る |
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1953年
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異形ダイスの製造技術確立する
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1953年
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捕鯨用ロープに「ナイロン先綱」使用される
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1953年
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「ナイロンザイル」を完成し、日本山岳会のマナスル登山隊に使用される
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1954年6月
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昭和29年
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焼津の第15太洋丸、鮪漁にクレモナ延縄を使用する
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1954年10月25日
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蒲郡工場、第1期合繊設備完成(高周波熱処理機、アニリン熱処理機、児童編網機など)
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1954年12月1日
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東京針金工業、日本特殊鋼線と合併
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1954年12月
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川崎工場にプレテンション装置(80t)を設置する
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1954年
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この年、小倉工場の電気鍍金設備、稼働を開始する
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1954年
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大型垂直引上げ鍍金炉を開発
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1954年
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「電纜入りロープ」を開発
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1955年9月
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昭和30年
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第3次発注の輸入機逐次到着
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1955年10月15日
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鋼索部長石平一郎、技師松井豊明、市場調査のためカナダおよび北米に出張
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1956年2月18日
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昭和31年
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フィリピン・マニラ市において開催の第1回世界アバカ会議に、麻綱部麻綱課長横田謹也を派遣
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1956年4月20日
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蒲郡工場、第2期合繊設備完成(リング撚糸機、ハスケル、自動編網機など)
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1956年5月27日
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日東麻綱設立
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1956年6月1日
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鹿沼工場を日東麻綱に賃貸
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1956年6月30日
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蒲郡工場、第3期合繊設備完成
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1956年7月20日
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鋼索の1,000t引張り試験機、公式検定検査を終了し稼働開始する
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1956年10月
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有峰ダム25tケーブルクレーン用に、初めて径100mmの「ロックドコイルロープ」、長さ397m製作
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1956年11月28日
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愛知県豊川市に豊川製網を設立(資本金1,000万円)。無結節網を主体とした合繊漁網の本格生産を開始
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1956年11月
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吉田製綱(東京都足立区北宮城町)を下請工場とする
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1956年
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この年、三津(高知県)、佐喜浜(高知県)、灘浦(富山県)漁場の定置用にエンビロンロープ納入
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1957年2月12日
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昭和32年
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豊川製網、編網1号機を設置し、無結網の生産を開始
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1957年2月23日
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東洋製綱佐野工場で「トヨロック」の生産を開始
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1957年2月
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「ナイロンホーサー先綱」を考案、日本郵船氷川丸へ納入
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1957年3月
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電源開発奥只見ダム向け25tケーブルクレーン用ロックドコイルロープ製作(径100mm、長さ584m、重量35t)
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1957年4月1日
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創立70周年記念日
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1957年4月
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日本道路公団と道路防護柵の研究を開始
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1957年5月15日
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創立70周年記念祝賀会を本社並びに川崎、小倉、蒲郡の各工場で開催する
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1957年10月
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「クレモナロープ」、法定備品として日本海事協会より承認される。大阪商船「らぶらた丸」、山下汽船「山姫丸」へ納入
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1957年11月
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ケーブル型防護柵のシュミレーション実験を行なう(~33年6月)
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1957年11月
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「リードロープ用ナイロンロープ」、長野営林局で初めて使用される
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1958年7月5日
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昭和33年
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取締役会長三木龍彦、米国、欧州、アジア各地へ出張
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1958年7月
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各地で防雀網の実験を行なう
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1958年9月
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川崎工場内で「ガードケーブル」の野外低速実験を行なう(~11月)
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1958年11月1日
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吉田製綱、東邦製綱に改称
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1958年12月
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東洋一の吊橋・若戸大橋用鋼索1,510t受注
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1958年
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この年、180kg/mm²を下限とする高張力鋼心線の研究を開始
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1959年1月12日
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昭和34年
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販売機構を改正し東綱商事(鋼索鋼線等の販売)を設立
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1959年5月
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「ナイロンロープ」、法定備品として日本海事協会より承認される
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1959年6月8日
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18回のガードケーブル野外実験を静岡県御殿場の富士山麓“なまこ山”で行なう。7月18日の14回目は一般公開実験(~7月31日)
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1959年6月17日
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東北砂鉄鋼業との業務提携に調印
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1959年6月
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東新鋼業、芝浦共同工業に半連続式線材圧延機を受注
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1959年9月1日
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川崎工場に加工課を新設、「ガードケーブル」販売の施設工事に対処
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1959年9月
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東新鋼業八戸工場の建設工事開始
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1959年10月
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川崎工場、工業標準化実施優良工場として工業技術院長賞受賞
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1959年12月26日
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本店の移転登記完了(台東区浅草橋二丁目3番地から中央区日本橋室町二丁目8番地)
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1959年
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「ブルロープ」(重機用スーパーロープ)開発
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1959年
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ケーブル型自動車防護柵の規格仕様決定、商品名を「ガードケーブル」と名付け発売開始
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1959年
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国道1号線・佐夜の中山夜泣石(静岡県金谷町)に「ガードケーブル」初納入
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1959年
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この年、底曳用に「クレモナロープ」の推進を開始
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1960年4月1日
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昭和35年
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東新鋼業㈱(高級線材の圧延)設立
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1960年5月21日
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取締役会長三木龍彦、藍綬褒賞受賞
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1960年6月14日
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PR委員会発足
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1960年7月
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静岡鉄道管理局に落石防止柵の第1号納入
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1960年8月26日
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取締役会長三木龍彦モスクワの日本産業見本市と欧州、アジア各地へ出張
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1960年10月15日
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東新鋼業圧延工場完成(硬鋼線材の圧延開始 200kgコイル 月産能力2,000t)
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1960年
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この年、タフロープ(異形線ストランドロープ)開発
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1960年
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「鉛線入合繊ロープ」を製品化
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1960年
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合繊索、麻索との比率を逆転し大幅に増加
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1961年2月
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昭和36年
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「ハイゼックスロープ」、日本海事協会より承認される
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1961年5月11日
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北海道岩内郡雷電岬で、北海道開発庁と国鉄札幌鉄道管理局の協力により、わが国初の落石防止柵公開実験を行なう
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1961年5月19日
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東新鋼業、東北砂鉄鋼業と共同で竣工式を行なう
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1961年6月
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落石防止柵の規格と仕様を決定。「ストーンガード」と名付け発売開始
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1961年6月
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若戸大橋用鋼索完納
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1961年8月
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秋田県花輪町湯瀬に「ストーンガード」架設
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1961年11月
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高抗張力ACSR、電源開発の中国四国連絡韓線で初めて使用される
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1961年12月
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東新鋼業、焼入と伸線工場の建設開始
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1961年
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この年、モルガンシャーマ製ストレートライン型伸線機設置(川崎工場)
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1961年
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ブルーイングライン新設とPC1×7生産開始(川崎工場)
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1961年
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「スカイロープ」「ダイヤロープ」「スプリングワイヤ」「インナーワイヤ」を開発
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1961年
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26年1月~36年12月までのロックドコイルロープ受注合計は、531丸 4,150tとなる
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1962年3月14日
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昭和37年
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新製品「サイザルカーペット」の発表展示会を中央区日本橋室町の薬業会館で開催(~15日)
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1962年4月
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底曳用エースロープを製品化
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1962年6月5日
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東新鋼業、ピアノ・軟鋼・硬鋼線材のJIS表示許可工場となる
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1962年9月1日
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東綱商事、三宝商事を合併
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1962年9月
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エイトロープ製造の中型機・TOSCOの開発に成功
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1962年9月
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東新鋼業、焼入作業開始(月産能力4,000t)
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1962年10月
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落石防止柵、ポケット式とSA式を開発
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1962年10月
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東新鋼業、バークロ社製伸線機稼働開始(月産能力2,000t)
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1962年10月
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「底曳用合繊コンパウンドロープ」を製品化
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1962年
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この年、「モノロープA形(非自転性ロープ)」開発
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1962年
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「テトロン延縄」を製品化
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1962年
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「NPC」生産開始(川崎工場)
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1962年
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アルミ鍍金工場を建設(川崎工場)
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1962年
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「ガードケーブル」、「ストーンガード」、全国的に伸展する
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1963年2月15日
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昭和38年
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豊川製網、東邦製綱を合併し東京工場とする(6月30日 東京工場を閉鎖)
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1963年3月
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「ガードケーブル」、名神高速道路に採用決定される
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1963年5月
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名神高速道路に繊維網使用の落石防止網使われる(39年4月「スロープネット」の名称で発売)
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1963年6月
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青森営林局にタコ式雪崩工法を提案
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1963年7月
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エイトロープ用「立型編ロープ大型製造器・TOSCO」完成、世界最大36インチ
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1963年10月3日
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取締役副社長幅野禎太郎、北京・上海の日本工業展覧会へ出張
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1963年11月28日
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国鉄施設局、四国の土讃線で新型落石防止柵の試作品(当社ほか4社)を公開実験
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1963年12月
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PR映画「日本のワイヤ」完成
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1963年
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この年、長大橋用5mm高抗張力ワイヤの開発に着手
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1963年
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ストーンガード、雪崩防止にも使用される
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1963年
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オートロープ開発
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1963年
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34年12月の発売から38年10月までに「ガードケーブル」28万8,100m納入
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1964年2月10日
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昭和39年
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㈱東綱磐田製作所(極細ワイヤロープ製造)設立 |
1964年4月1日
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落石防止網の規格仕様決定、「ロックネット」と名付け発売開始
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1964年5月10日
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東綱磐田製作所竣工式
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1964年9月1日
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東洋製綱㈱(ワイヤロープ製造)と合併し、泉佐野工場を設置
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1964年9月1日
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大和製綱、東洋製綱に社名変更
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1964年10月16日
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東京ロープ関連労働組合協議会結成(初代会長坂田勝見)
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1964年10月28日
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恵信工業、東綱橋梁に改称
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1964年11月12日
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新東綱会発足
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1964年11月
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黒石営林署と「タコ式スノーガー」ド実地試験始める(青森テレビ報道)
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1964年
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この年、LCRを使用した「タイロープ」開発
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1964年
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「ベルトコード用ブラス鍍金」開発
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1964年
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AISI規格による平均抗張力175kg/mm²の試作に成功
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1964年
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6月末で機工製品関係の累積売上高10億円を突破する
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1965年5月
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昭和40年
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HITAC201型電子計算機、本社に導入(受注、生産、売上統計表の作成)
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1965年6月
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大地震後の新潟港復旧に「タイロープ」納入(新潟臨港海陸運送)
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1965年7月
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東綱磐田製作所、「インナーワイヤ」の生産を開始
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1965年8月
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東綱磐田製作所、「ホースワイヤ」の生産を開始
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1965年8月
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東綱橋梁、第1号橋として宇都宮市の「徳次郎歩道橋」を製作
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1965年9月
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東綱磐田製作所、「スチールタイヤコード」の試作開始
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1966年5月27日
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昭和41年
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新大日製綱、赤穂ロープに改称
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1966年6月25日
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大阪支社を大阪事務所と改称
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1966年7月21日
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組長制度を改正し鋼索作業長、班長制度実施(繊維索関係は12月21日 実施)
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1966年8月1日
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三木賞制定(42年4月1日 実施)
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1966年9月11日
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ワカメ養殖用需要活発でトスコ17インチ機、蒲郡工場に設置
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1966年10月
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北海道大学天塩演習林で「タコ式」「柵式」「ネット式」スノーガードの実用テストを行なう(~42年5月)
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1966年11月1日
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ZD運動キックオフ
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1966年
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この年、東京電力梓川発電所の索道用に鋼索の大量注文を受ける
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1966年
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社団法人金属表面技術協会よりアルミ鍍金法の技術開発で「大塚賞」を受賞
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1966年
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プラス岩糸(鉛線入合繊岩糸)を製品化
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1967年3月25日
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昭和42年
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大阪事務所を南区三津寺町より東区南本町のユーマンビルに移転
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1967年3月
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東新鋼業、アフタードローワイヤの伸線作業開始
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1967年4月1日
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創立80周年記念日
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1967年4月
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積雪地用に「着脱式ガードケーブル」発売開始
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1967年4月
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ガードフェンス(市街地用歩車道分離柵)発売開始
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1967年5月
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東新鋼業、連鋳線材の圧延を開始
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1967年9月29日
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川崎工場敷地を神奈川県と川崎市へ売却内定(12月5日 売買契約締結)
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1967年10月1日
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身分呼称を廃止する
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1967年10月9日
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茨城県開発公社と土浦工場建設用地の売買契約を締結
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1967年10月
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ガードケーブル東名型中央分離帯の実車実験を川崎工場内で行なう(~12月)
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1967年10月
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東綱橋梁、初のPWSを使用した予野吊橋(白拍子橋)を受注
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1967年10月
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「シングルロック」でペンダントロープの実験開始
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1967年
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この年、ベスレヘム社から「PWS」の技術を導入する
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1967年
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無停止式巻取機(オートスプーラー)を導入する
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1967年
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トスコ29インチ(20H)機、ノルウェーへ初輸出
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1967年
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5掛(QC、能率、コスト、PM、安全衛生)教育の開始
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1967年
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「ポケット式ロックネット」開発
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1968年3月26日
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昭和43年
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土浦工場起工式
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1968年6月1日
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東綱磐田製作所を東京製綱磐田製作所に改称
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1968年6月
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富士製鐵名古屋製鐵所でPWS展開実験を公開
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1968年7月25日
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蒲郡工場を分離独立させ、東京製綱繊維ロープを設立(繊維索網製造)
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1968年8月1日
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東綱商事を改組し、当社に営業部を復活、それに伴い大阪、福岡営業所を新設
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1968年8月
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「ミニポケット式ロックネット」を発売開始
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1968年9月
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「スノーフェンス」発売開始
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1968年9月
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川崎、泉佐野、小倉工場にオフィスコンピューターTOSBAC-1100型を導入
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1968年10月
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ブラス鍍金ラインをブラスタンク攪拌式・超音波製造方法に改良
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1968年11月5日
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土浦工場上棟式
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1968年
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東京製綱の繊維ロープ部門を分離・独立し、東京製綱繊維ロープ㈱(繊維索網製造)を設立 | |
1968年
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この年、「新エース延縄」を製品化
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1968年
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「ナイロン安全ネッ」ト発売開始
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1968年
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「ポールパイル用PC鋼線」の生産開始
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1969年2月28日
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昭和44年
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東京製綱繊維ロープ、麻ロープのJIS表示認可工場となる
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1969年4月
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土浦工場、新設機械設備により一部稼働開始
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1969年4月
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川崎工場の土浦移転に伴い川崎市内に京浜倉庫開設
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1969年4月
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法面保護緑化促進用「TASネット」発売開始
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1969年4月
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運輸省第5港湾建設局金城埠頭より「タイロープ」受注
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1969年8月
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「プッシュプルケーブル」の生産開始
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1969年8月
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東新鋼業、圧延機改造工事完了(500kg/束、月産能力7,500t)
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1969年9月10日
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日本特殊鋼具、日本特殊合金に改称。豊橋市に合金工場新設
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1969年9月
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本社の電子計算機、HITAC201型より8210型に変更、データライターによる工注のテレックス手配実施
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1969年10月
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泉佐野工場、PC新工場稼働、本格的対米輸出開始
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1969年12月
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川崎工場から土浦工場への移転完了
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1969年
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この年、日本万国博覧会のお祭り広場(PWS・102使用)と久保田館(PWS・61使用)完成
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1970年1月
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昭和45年
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赤穂ロープの経営権、富士製鐵より当社へ移管
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1970年3月26日
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取締役社長青木好磨、モスクワにて開催の日本産業見本市へ出発
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1970年4月1日
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東京針金工業、日東麻綱を合併
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1970年4月10日
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土浦工場(鋼索鋼線、道路安全施設等製造)竣工式
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1970年4月14日
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新日本製鐵、神戸製鋼所と赤穂ロープの裏山で、「中央分離帯用ガードケーブル」の実車衝突実験実施(~5月28日)
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1970年6月1日
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東京製綱スチールコード㈱(スチールコード製造)設立
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1970年7月
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モノロープのスウェージ式製造技術確立
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1970年7月
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泉佐野工場の新ビード工場稼働(能力350t/月)
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1970年7月
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東京製綱スチールコード起工式、第1期300t計画の工事に着手
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1970年11月10日
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㈱東綱機械製作所(鋼索鋼線製造用機械製作)設立
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1970年11月16日
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PR映画「ロープ&ロープ」製作
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1970年
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この年、土浦工場NPC 2,000t/月体制確立)
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1971年1月
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昭和46年
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関門橋用メインケーブル、土浦工場で製作開始
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1971年3月
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ラングバイン方式の新式ブラス鍍金装置導入
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1971年9月1日
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大阪ロープ工業(ワイヤロープ製造)を合併
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1971年9月21日
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札幌、名古屋営業所新設
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1971年9月
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札幌市内に白石倉庫開設
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1971年10月
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東京製綱スチールコード、第2期700t計画の工事に着手
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1971年11月20日
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社内報『ろおぷ』発刊
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1971年
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この年、定置網用に「パラエイトロープ」開発
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1971年
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鉛線入りナイロン糸による「ナイロンエースネット」開発
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1971年
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12打ロープを製品化
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1971年
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海上保安庁対馬電波塔支持索用LCR受注
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1972年2月
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昭和47年
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仙台市内に仙台倉庫開設
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1972年4月11日
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名古屋市内に名古屋倉庫開設
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1972年4月
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東京製綱スチールコード、第1期生産目標達成(304t)
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1972年5月17日
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エンカグランツストフ社と相互技術供与協定に調印
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1972年6月
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ロックマット(海岸築堤用)、茨城県鹿島港で実験的に採用される
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1972年7月24日
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東京製綱繊維ロープ、合繊ロープのJIS表示認可工場となる
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1972年8月
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東京製綱スチールコード、ダイヤモンドダイスより合金ダイスに全面切換
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1972年9月1日
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東京製綱繊維ロープ、豊川製網を合併し豊川工場とする
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1972年10月18日
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土浦工場、第2期工事に着手
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1972年10月
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水産用高抗張力トロールワープ製作
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1972年10月
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東京製綱スチールコード、第3期1,280t計画の工事に着手
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1972年11月16日
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東綱石油販売設立
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1973年3月
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昭和48年
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本社の電子計算機、HITAC8210型より8150型に変更、データライターを伝票発行機システム2に替え端末機を整備する
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1973年4月3日
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国道26号線熊取で防音壁の実験を行なう(~4月6日)
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1973年4月
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「モノロープSP」開発
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1973年4月
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土浦工場にルフール社製4号炉設置
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1973年4月
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東新鋼業、伸線月産能力4,200tにアップ
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1973年5月
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新日本製鐵、神戸製鋼所、東伸フェンスと群馬県薗原ダムで落石実験実施
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1973年6月
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新日本製鐵、神戸製鋼所と赤穂ロープの裏山で「標準型路側用ガードケーブル」衝突実験実施
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1973年6月
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「スチールコード用ダブルツィスター」開発
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1973年8月
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東京製綱スチールコード、新日本製鐵釜石製鐵所と線材開発開始
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1973年9月
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漁業用トロールワープに「タフワープ」開発
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1973年10月
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「コンパウンドロープ」の需要活発で専用機41インチ×4F設置
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1973年10月
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50kV走査型電子顕微鏡導入
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1973年11月
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「モノロープEP」開発
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1973年12月
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東京製綱スチールコード、生産量1,000t/月達成
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1974年1月22日
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昭和49年
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土浦工場にスウェージングマシン200t設置
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1974年3月
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東新鋼業、伸線月産能力4,600tにアップ
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1974年4月11日
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90mmモノフィラメント紡糸装置設置
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1974年5月13日
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三重加工場竣工式
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1974年8月
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小倉工場、6×37細物増産体制に着手
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1974年9月30日
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日本特殊合金へ経営参加
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1974年10月
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オーストラリアン ワイヤ インダストリーズ社より高速鍍金技術導入
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1974年10月
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タフレロープ開発のため二重竪型編索機設置
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1974年
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この年、鋼索 径62mmまで可能な大型疲労試験機設置
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1974年
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径130mmまで製造可能な超大型撚線機設置
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1974年
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超厚鍍金「ハイコートS」開発
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1974年
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下取巻取機「パターンレイ」を商品化
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1974年
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ダムの流木、流芥止め「ダスパー」製品を開発
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1975年2月
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昭和50年
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「ボロナイジングダイス」製造技術確立
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1975年4月23日
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安宅産業ならびに安宅アメリカとALPS社に関する合弁事業契約に調印(ALPS社の株式60万ドルの内10万ドルを安宅アメリカより取得)
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1975年8月
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土浦工場「ケルナー式亜鉛鍍金炉」稼働
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1975年8月
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土浦工場の「PC鋼撚線」1,000t体制確立
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1975年12月28日
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土浦工場に「500tプリテンション装置」設置
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1975年
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この年、ナイロン、パイレン、テトロンそれぞれの二重組打索、日本海事協会より法定備品として承認される
|
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1975年
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「コンポーズロープ」を製品化
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1975年
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「クロメート防錆技術」を新日本製鐵と共同開発
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1975年
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「原糸吸光分析装置」と「超低温疲労試験機」設置
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1975年
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スチールコード用「オートスプーラー」開発
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1975年
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タフスーパーロープ開発
|
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1976年2月
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昭和51年
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全国17ヵ所にファクシミリ設置
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1976年3月
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本社の電子計算機、HITAC8150型より8250型に変更。土浦、泉佐野、小倉工場に8150型を導入、オーダーエントリーシステム実施
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1976年4月
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東京製綱スチールコード、第4期1,730t計画の工事に着手
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1976年5月1日
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新製品開発のためエンジニアリング部を新設
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1976年6月9日
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取締役社長石平一郎、米オハイオ州アクロン市長から名誉市民の鍵を受ける
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1976年9月
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東京製綱スチールコードに電子計算機HITAC8150型を導入
|
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1976年
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この年、高周波高速ブルーイング技術確立
|
|
1976年
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なぎさ型浮消波堤開発
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1976年
|
「タイロープS」開発 | |
1976年
|
「タフレロープ」の製造を開始
|
|
1977年1月25日
|
昭和52年
|
テトロンとナイロンの組合わせ二重組打索、日本海事協会より法定備品として認定(わが国初の異種組合せロープ)
|
1977年1月
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90周年記念映画「TOKYO-ROPE」製作
|
|
1977年1月
|
スチールコード用高速ラッピング機(16,000rpm)開発
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1977年4月1日
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創立90周年記念日
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|
1977年5月14日
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大阪倉庫廃止
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1977年6月
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スチールコード用拡散鍍金技術確立
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1977年10月1日
|
伊藤忠商事、安宅産業合併に伴い、ALPS社の株式を当社は36万ドル、伊藤忠アメリカは24万ドルを引継ぐ
|
|
1977年
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この年、鋼索の生産を土浦、泉佐野の2工場に集約決定
|
|
1977年
|
ダイス放電加工技術確立
|
|
1977年
|
「ケブラーコンポーズロープ」、気象観測ブイロボット係留用に使用される
|
|
1978年1月
|
昭和53年
|
体質改善運動開始
|
1978年2月
|
「デコロープ」開発
|
|
1978年5月
|
「モノロープT」開発
|
|
1978年6月2日
|
ナイロンとパイレンの組合わせ二重組打索、日本海事協会より法定備品として認定
|
|
1978年8月1日
|
東京製綱繊維ロープ、豊川工場を閉鎖し網部門を蒲郡本社工場へ統合
|
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1978年9月
|
「オートスプーラー」導入
|
|
1978年10月6日
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泉佐野工場内に「機工センター」竣工
|
|
1978年12月16日
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東京ロープ労働組合連合会を単一組織に改組。東京製綱労働組合となる
|
|
1978年12月
|
英・ストロングホールドインターナショナル社より「ストロングホールド工法」導入
|
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1978年
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この年、「東京製綱ヨットロープ」を製品化
|
|
1978年
|
タイロープTR開発
|
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1978年
|
西宮球場と横浜スタジアムにステンレス製のバックネット納入
|
|
1979年3月
|
昭和54年
|
平和台球場にステンレス製のバックネット納入
|
1979年3月
|
リング組合せ型魚礁、足摺岬沖に設置
|
|
1979年4月
|
小倉工場、タイヤ用スチールコードの生産開始
|
|
1979年7月
|
海洋開発関係の「生簀、金網」販売開始
|
|
1979年8月
|
ダンピング問題表面化し対米輸出断念
|
|
1979年10月
|
「厚ネットグリーン工法」開発
|
|
1979年10月
|
ワイヤロープ設計の電算化確立
|
|
1980年2月
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昭和55年
|
「ストロングホールド工法」による原子炉格納容器の確証実験を清水建設と行なう
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1980年2月
|
広島球場に「ステンレス製バックネット」納入
|
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1980年3月
|
浮消波堤(第1次分40m)熊本県御所浦町牧本地区に設置
|
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1980年4月10日
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土浦工場操業10周年記念式典挙行
|
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1980年4月
|
「スパンライク糸」を開発
|
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1980年5月
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土浦工場のNPC用ヒートストレッチライン稼働
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1980年6月
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サカツシュ社(シカゴ)にALPS社の全株を売却
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1980年7月24日
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TCI TRADING CORPORATIONを設立
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1980年10月
|
京浜倉庫を閉鎖し浦安倉庫を開設
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1980年11月
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「太径トヨロック」(65mm~180mm)加工技術確立
|
|
1981年1月8日
|
昭和56年
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ケンタッキー州ダンビル市にATR Wire&Cable Co.,Inc.(スチールコード及びビードワイヤ製造)設立
|
1981年1月20日
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当社およびATR、ファイアストン社とFirestone Wire & Cable社の買収契約に調印
|
|
1981年1月
|
テンションメンバー用に「ケブラーコンポーズ線」を開発
|
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1981年1月
|
「キョーレックスロープ」を製品化
|
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1981年2月
|
SUS外装・高耐食LCR開発
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1981年3月
|
泉佐野工場に3,000tプレス機設置
|
|
1981年3月
|
東京製綱スチールコード、生産量2,000t達成
|
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1981年4月1日
|
東京製綱磐田製作所、福昌公司を吸収合併
|
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1981年4月
|
和歌山県加太森林公園に「厚ネットグリーン」18,670㎡納入
|
|
1981年6月8日
|
「キョーレックスロープ」、日本海事協会より法定備品として認可される
|
|
1981年6月
|
「タフロングスーパーロープ」(異形線ストランドロープ)開発
|
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1981年7月
|
東京針金工業、ワイヤロープの製造を中止
|
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1981年8月
|
リコールブイガイドロープに「ケブラーロープ」を使用
|
|
1981年9月8日
|
ダイパックの開発について新聞発表(販売開始)
|
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1981年
|
国内初の「ケブラー製ロープ」製造を開始 | |
1982年2月
|
昭和57年
|
「タイヤコード用バンチドコード(1×12)」の製造を開始する
|
1982年3月
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熊本県御所浦町牧本地区の浮消波堤工事、総計232m完成
|
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1982年3月
|
「ウルトラハイテンACSR」を試作
|
|
1982年3月
|
海上魚釣台、鳥取県気高沖に設置
|
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1982年4月
|
泉佐野工場でロープ径100mmのトヨロック加工完成
|
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1982年5月1日
|
TJK(自主管理活動)開始
|
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1982年5月22日
|
東洋製綱、ワイヤロープのJISを取得
|
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1982年8月
|
「光ファイバー用テンションメンバー」の製造技術確立
|
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1982年9月
|
「通信線入りケブラーロープ」を開発
|
|
1982年12月8日
|
「タフミックスファイバー」の開発について新聞発表(販売開始)
|
|
1982年
|
この年、「タフエレベータロープ」を試作
|
|
1983年1月
|
昭和58年
|
光ファイバーケーブルの敷設に「ケブラー牽引ロープ」を使用
|
1983年3月1日
|
東京製綱磐田製作所、太平興産を吸収合併
|
|
1983年4月
|
土浦工場、中間原料の内作化100%実施
|
|
1983年4月
|
「タイヤコード用偏平オープンコード」の製造技術確立
|
|
1983年5月
|
土浦工場に3,000tプレス機を設置
|
|
1983年6月
|
ATR社、タイヤコードの生産能力を1,500t/月に増強のため600万ドル増資
|
|
1983年7月
|
東京製綱スチールコード、生産能力2,650t/月計画決定
|
|
1983年11月30日
|
サスミックスファイバーの開発について新聞発表(販売開始)
|
|
1984年1月
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昭和59年
|
高耐食鍍金「ジンカール」を開発
|
1984年2月22日
|
日本特殊合金、蒲郡市に新工場竣工
|
|
1984年3月
|
東京製綱スチールコード、生産量2,800t達成
|
|
1984年8月
|
タイヤコード用オールハラセ(1×27)の製造技術確立
|
|
1984年10月
|
東綱橋梁、香港文化センターの吊屋根工事一式を受注
|
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1984年
|
この年、ニュー パラレル ワイヤ ストランド開発
|
|
1985年2月
|
昭和60年
|
スチールコード用ウルトラハイテンコードの製造技術確立
|
1985年3月
|
東京製綱スチールコード、生産量3,000t/月達成
|
|
1985年4月1日
|
日鐵ロープ工業㈱(ワイヤロープ製造)を吸収合併
|
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1985年11月3日
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取締役会長小林公一、勲三等瑞宝章を受章
|
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1985年
|
この年、タフエレベータロープを製品化
|
|
1986年4月8日
|
昭和61年
|
カーボンファイバー・コンポジット・ケーブル(CFCC)の開発について新聞発表(販売開始)
|
1986年
|
この年、「タイロープTP」を開発
|
|
1987年4月1日
|
昭和62年
|
創立100周年記念日
|
1987年4月21日
|
東京・丸ノ内パレスホテルにおいて創立100周年記念祝賀会挙行
|
|
1987年4月24日
|
大阪府高石市・羽衣荘において創立100周年記念祝賀会挙行
|
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1988年
|
昭和63年
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本州四国連絡橋 児島・坂出ルート全面開通
|
1988年
|
東京製綱テクノス(ワイヤロープメンテナンス)を設立 | |
1989年
|
昭和64年
平成元年 |
横浜ベイブリッジ開通
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1991年
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平成3年 | 業界最大の繊維ロープ用5000kN引張試験機を設置 |
1992年
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平成4年
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「斜張橋用ケーブル(NEW PWS)」の長尺化技術を確立
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1993年
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平成5年
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横浜ランドマークタワーオープン(高速エレベータロープ納入)
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1994年
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平成6年
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独身寮「東京ロープ柏寮」竣工
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1995年
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平成7年
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「ジンカール10」生産開始
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1995年
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難自転性ロープ「IWSCロープ」を開発
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1996年12月
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平成8年 | 土石流や流木を防止する透過型鋼製堰堤「サスペンションケーブルスクリーン」を開発 |
1998年2月
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平成10年 | 立体駐車場用の車両墜落防止装置「マモロープ」の公開衝突実験を行なう |
1998年2月
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ワイヤロープ及び鋼構造物の健全性診断へ本格的取り組み開始 | |
1998年2月
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長野県安曇村、北アルプス上高地のシンボルである河童(かっぱ)橋、五代目誕生 | |
1998年2月
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来島大橋のキャットウォークステイケーブルに「CFCC」が採用 | |
1998年7月
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北アルプスにわが国初の2階建てロープウェイが開通 | |
1998年10月
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世界初の新型マルチワイヤソー「HWS-330」を開発 | |
1998年12月
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ガードケーブル用擬木カバー「ボアくん」を開発 | |
1998年12月
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ガードレール用の「安全カバー」を開発 | |
1998年
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本州四国連絡橋 神戸・鳴門ルート全面開通
・明石海峡大橋(吊橋) ・大鳴門橋(吊橋) |
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1998年
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白鳥大橋(吊橋)開通(北海道室蘭市)
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1998年
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カーテンネット工法を発表
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1998年
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東京製綱繊維ロープ、業界初ISO-9001審査登録承認 | |
1999年1月
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平成11年
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法面上の転石や法面自体に動きや変形が生じたことを表示板によって知らせる「TSK落石検知装置」を開発、販売開始
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1999年2-3月
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アメリカのReading&Bates Falconに、世界一の超重量物ワイヤロープを納入(IWRC 8×SeWS(52)ZAC/O 95mm 長さ4,572m 1丸あたりの重量は約185t 計9丸:総重量1,670トン) | |
1999年12月
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愛知県の海底トンネルに当社の沈埋函連結ケーブル使用 | |
1999年
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本州四国連絡橋 尾道・今治ルート全面開通 ・因島大橋(吊橋) ・生口橋(斜張橋) ・多々良大橋(斜張橋) ・伯方・大島大橋(吊橋) ・来島海峡第一大橋(吊橋) ・来島海峡第二大橋(吊橋) ・来島海峡第三大橋(吊橋) |
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1999年
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泉佐野北工場再開発事業「ショッパーズモール泉佐野」竣工
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1999年
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㈱東京製綱磐田製作所閉鎖
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1999年
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東新鋼業㈱事業閉鎖
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2000年
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平成12年 | 編索機を設置し、トエルロープ(最大Φ180mm)の製造開始 |
2001年
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平成13年
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トーコーテクノ㈱(土木建築工事)設立
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2001年
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アクリル板の日本国内独占販売契約をレーム社と締結
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2001年3月14日
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東綱商事㈱を合併
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2001年10月10日
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ベルギーのベカルト社と合弁会社「ベカルト東綱メタルファイバー株式会社」を設立 | |
2001年
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経営改善対策「新生21計画Vプラン」スタート
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2001年
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新潟県の「苗場スキー場」とその北に位置する「かぐら・田代スキー場」を結ぶ世界最長のゴンドラ「苗場?田代ゴンドラ(愛称:ドラゴンドラ)」 用ワイヤロープ、約110tを納入 | |
2002年1月10日
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平成14年 | 「CFCC」を使用した米国初のPC道路橋が完成 |
2002年5月
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アメリカのサウスフィールドで「CFCC」使用の橋梁プロジェクトが完成 | |
2002年
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自動販売機用盗難防止部材「ロックンロープ」を開発 | |
2002年
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小倉工場閉鎖
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2002年
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「タフコーティッド」の販売開始
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2003年
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平成15年
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泉佐野工場を堺工場に集約
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2003年
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東綱機械製作所にて「小型ワイヤソー」開発
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2003年2月16日
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ATR会社更生手続き申請、清算
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2003年12月24日
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江蘇東京製綱有限公司(橋梁用ワイヤの製造)設立 | |
2004年2月6日
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平成16年 | 江蘇東京製綱有限公司工場起工式 |
2004年4月2日
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上海事務所開設 | |
2004年4月12日
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東京針金工業完全子会社化 | |
2004年9月21日
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取締役会において泉佐野工場跡地をランドリースに譲渡することを決議 | |
2004年11月1日
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ワイヤロープ製品の営業体制再構築を目的として当社グループ会社再編 1.㈱東綱ワイヤロープ東日本を設立 2.㈱内外岩田を㈱東綱ワイヤロープ西日本に名称変更 3.北海道トーコー㈱を新たにワイヤロープ販売機能を追加 |
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2004年12月9日
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江蘇東京製綱有限公司「ISO9001:2000」を認証取得 | |
2005年4月
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平成17年
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FATZER 社(スイス)製「索道用樹脂芯入りワイヤロープ」販売開始
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2005年6月3日
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東京製綱(常州)有限公司(タイヤ用スチールコードの製造)設立 | |
2005年7月15日
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東京製綱(常州)有限公司工場起工式 | |
2005年12月
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地山を傷めず、景観も損ねずに設置可能な「マウントロックフェンス」の販売を開始 | |
2005年10月
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「タフコーティッド製品」が国土交通省のNETISに登録 | |
2005年
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東京製綱海外事業投資㈱(海外事業への投資)設立 | |
2006年3月6日
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平成18年 | 東綱ワイヤロープ西日本 関西物流センターを開設 |
2006年3月24日
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東京製綱スチールコード「ISO14001:2004」の審査登録完了 | |
2006年4月
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長崎機器製作所、タイ国バンコク市に粉粒体製品の自動計量・包装機の製造を目的とする合弁会社「NAGASAKI KIKI MFG.(THAILAND) Co., Ltd.」を設立 | |
2006年4月
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強酸地盤にも対応可能な「耐酸性セメントカプセル」を開発 | |
2006年4月
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「ロープネット工」、「マイティーネット工」用の土砂部用アンカーとして、「スウィングアンカー」を開発 | |
2006年5月19日
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東京製綱ベトナム有限責任会社(エレベータロープ製造)設立 | |
2006年7月6日
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東京製綱(常州)有限公司操業開始 | |
2006年11月8日
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東京製綱ベトナム有限責任会社工場起工式 | |
2006年11月27日
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大分県の九重町に日本一の人道吊橋『九重“夢”大吊橋』完成(メインケーブル、ハンガーロープ、耐風支索など全てのケーブル、ワイヤロープを納入) | |
2006年
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㈱吊橋設計(設計コンサルタント)設立 | |
2007年4月
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平成19年 | 東京競馬場の新スタンドに「NEW-PWS」を納入 |
2007年6月
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箱根ロープウェイに支えい索用のワイヤロープ径48φを納入 | |
2007年6月15日
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釧路港東港区の釧路川河口の岸壁背後に津波漂流物対策施設(通称:津波スクリーン)が完成(高エネルギー吸収ロープ、ポリエチレン被覆ロープを納入) | |
2007年8月1日
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土浦工場、堺工場「ISO14001:2004」審査登録完了 | |
2007年8月31日
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東京製綱ベトナム操業開始 | |
2007年10月1日
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東京製綱スチールコードを合併 | |
2007年10月18日
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ワイヤロープ総合メンテナンスシステム「SEMSOR」開発
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2007年12月1日
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コンテナクレーン用他「半被覆ロープ」販売開始 | |
2007年12月
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音響管式遮音装置を改良し「ソフトップガンマ」としてリニューアル | |
2008年1月22日
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平成20年 | 土浦工場、堺工場「新JIS」の認証を取得 |
2008年3月1日
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和歌山分工場開設(ソーワイヤ増産) | |
2008年6月1日
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玉掛索用高強度交差よりロープ「ハイクロスロープ」販売開始
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2008年8月1日
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本社事務所を中央区日本橋三丁目6番2号(日本橋フロント3F)に移転 | |
2008年
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カザフスタン駐在事務所開設
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2009年3月27日
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平成21年 | ワイヤロープ寿命管理コントローラ「REXS」発売 |
2009年3月
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「マウントロックフェンス」が国土交通省のNETISに登録 | |
2009年4月1日
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東綱機械製作所を吸収合併 | |
2009年4月
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高性能防雪柵「スノージェッター」の販売を開始 | |
2009年10月21日
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ワイヤロープ常時遠隔診断技術(SEMSOR)が「建設技術審査証明事業」『審査証明書』を受領 | |
2009年
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東京ゲートブリッジの橋脚運搬クレーン船ワイヤロープを納入 | |
2010年
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平成22年
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東京製綱(上海)貿易有限公司設立
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2010年
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東京製綱(常州)機械有限公司(ワイヤソー製造)設立
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2010年
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東京製綱マレーシア株式有限責任会社(ソーワイヤ製造)設立
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2010年
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カザフスタン共和国のアルマティ市にカザフスタン事務所設立 | |
2010年
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ロシアの首都モスクワにモスクワ駐在事務所開設
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2010年
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香港駐在事務所開設
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2010年2月4日
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CCM協会と赤穂ロープ施設内に設置した試験施設にて、落石防護用「カーテンネット(CN)工法」の落石公開試験を実施 | |
2010年3月5日
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2010年6月9日
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玉掛索用高強度ケーブルレイドロープ「柔(やわら)」販売開始
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2011年2月10日
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平成23年 | ㈱長崎機器製作所が長崎機器㈱に商号を変更 |
2011年6月
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「スノージェッター」が国土交通省のNETISに登録 | |
2011年7月
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「デガルート」がが国土交通省のNETISに登録 | |
2011年7月
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路面表示用塗料「2液反応式MMAアクリル樹脂デガルート」の販売を開始 | |
2011年8月
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「マイティーネット」が国土交通省のNETISに登録 | |
2011年11月
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「カーテンネット工」、「ロープネット工」のNETIS登録内容を更新 | |
2011年
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東京製綱(上海)貿易有限公司設立 | |
2011年
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蒲郡に「CFCC実証工場」建設 | |
2012年
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平成24年
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創立125周年記念
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2012年
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モスクワに東京ロープエンジニアリング有限会社設立
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2012年
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東京製綱(香港)有限公司設立
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2012年
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Cable Technologies North America, Inc. 設立 | |
2012年10月1日 | ワイヤロープ簡易断線検出器「ハンディーチェッカー」を発売 | |
2013年 | 125周年記念DVD「TOTAL CABLE TECHNOLOGY」製作 |