2014年11月3日(月)日刊ケイザイ
ワイヤロープ一筋に50年
斬新なアイデアで独自商品を数多く生み出す
今年7月、創業50周年を迎えた中村工業はワイヤロープ加工一筋に歩んできた。中村哲也社長は2代目で、10月22〜23日に開催された大阪勧業展でワイヤロープの手編み加工を実演し、来場者の目を引いた。
「次の10年に向けて、創業者である父(和郎氏、顧問)から受け継いだ志“ロープ加工を極める”ために社員と一丸となって取り組んでいます。また、常に他社との差別化を念頭に置いています。独自のものをしっかりと持っていれば、自ずと注文が入り、実績と信頼は広がっていきます」と、斬新なアイデアで数々の独自製品を生み出している。
「1997年に当時まだ企業のホームページがほとんどない時代に、自分で工夫して、ホームページ“ロープファクトリー”を開設しました。また、1985年から業界最大手・東京製綱の代理店となり、私自身も二度にわたって都合5年間、東京製綱に勤務した経験をもっています」と業界での信頼度は高い。
「ロープ加工職人の社会的地位向上を目的に、ロープ加工技能士という国家検定があります。これまで大阪勧業展に5回出展しましたが、毎回手編み加工を実演しています。太径(120㍉)から細径(1㍉未満)まで多種多様に対応できます」と、テレビ番組・和風総本家で太径ロープの手編み加工が紹介されたこともある。
ーー今年7月に創業50周年を迎えられましたが次なる60周年、100周年に向けての抱負をお聞かせ下さい。
中村 ワイヤロープ加工一筋に50年歩んできましたが、日々の仕事に精進しているところです。次の10年に向けて、大それたことを言うつもりはありませんが、創業者である父(和郎氏、顧問)から受け継いだ志「ロープ加工を極める」ために社員と一丸となって取り組んでいます。
一つの会社が50年続くというのは、並大抵のことではありません。あるデータによると、その割合は0.7%とされています。私は社長に就任して5年ですが、もし父と同じ苦労をして創業するとなれば、かなり困難な道のりになるでしょう。
ワイヤロープ業界の最大手は東京製綱ですが、今年で127年の歴史をもっています。1887(明治20)年に繊維ロープで始まり、初代会長は渋沢栄一です。それから10年して、国内初のワイヤロープの製造が開始されました。日清戦争(1894年)で海軍の艦船をつないでいた繊維ロープが切れたことから、ワイヤロープが生まれたそうです。
日本のロープの歴史は東京製綱の歴史でもありますが、私は都合5年間勤務しました。高校卒業後、土浦工場で2年間、ワイヤロープの製造現場でお世話になりました。それから中村工業に入りましたが、15年経った2005年に、東京製綱の社長からの要請で再度入社しました。今度は本社総括部で3年間勤務しました。
入社要請の理由は、1997年に当時まだ企業のホームページがほとんどない時代に、中村工業のホームページ「ロープファクトリー」を開設したのがきっかけです。今でこそホームページの制作会社はたくさんありますが、当時はまったくと言っていいほどありませんでした。そこで私は自分で工夫してホームページを立ち上げ、リニューアルを重ねてきました。そうしたところを見込まれて、再度入社したわけです。
勿論、社長自らがお声をかけて下さったのは、それだけが理由ではありません。当時はロープ業界の再編が進み、大変厳しい時代でしたから、共にやっていこうという働きかけだったと思っています。また、当社はすでに1985年から、ワイヤロープ加工で東京製綱の代理店として取り引きをしていますので、業界での信頼度は高いと自負しています。
ーー東京製綱時代は斬新なアイデアで数々の新商品を企画、開発されたそうですね。
中村 数々と言うほどではありませんが、「ハイクロスロープ」と「テーパートヨロック」の2つです。
ハイクロスロープは、「強・軽・柔」を追求した最新の玉掛け用ワイヤロープで、素線1本の強度を1平方ミリメートルあたり160kgから220kgまで高めました。また、サイズダウンが可能となり、重量を25%軽量化でき、柔らかさは従来品の2倍になりました。軽くて柔らかくなったことから、作業が格段に改善できます。
テーパートヨロックはロック加工のロック部分の角を丸くしたもので、作業効率の向上と作業中のケガ防止に役立っています。形状が角をとった流線形なので、引っ掛からない、刺さらないのが魅力です。
こんなものがあったらいいですねと提案しますと、それじゃ君がやってみろということになり、形になりました。他社と同じものを売っているだけでは、結局は価格競争になってしまいます。
高機能で中村工業にしかないというものであれば、うちだけに注文が来ますし、日頃から常に他社との差別化を念頭に置いています。独自のものをしっかりと持っていれば、自ずと注文が入り、実績と信頼は広がっていきます。
2013年に当社独自の企画商品「ウルトラロープ」と「カラータイマー」を発売しました。
ウルトラロープは、亜鉛アルミ合金めっきのワイヤロープを前面リニューアルしたもので、高耐食性かつクリーンな製品です。亜鉛めっきにアルミニウムを10%混ぜているので、従来品に比べてさびに対する寿命が3倍以上長くなり、水産や海洋工事に適しています。また、ロープに使う油の量を半分に減らしましたから、環境にやさしいエコロープです。
カラータイマーはロープに取り付ける管理タグで、無料で提供しています。ロープ径や長さ、構成等が識別できると同時に、4つのドットに色と2進法の配置を組み合わせ、製造年月が一目でわかるようにしています。
このほか、2010年にはワイヤロープ用クッションカバー「くるっと」を発売し、好評をいただいています。強化ゴムホースに螺旋の切り込みを入れ、簡単に取り付け・取り外しができ、吊り荷のキズ防止とロープの保護、ケガ防止などの効果があります。
トラックの荷台でワイヤロープをよく目にしますが、運送会社からはロープにホースを通してくれという要望が以前からありました。ホースを通すとなると、取り付けはできますが取り外しはできません。また、部分的な修復もムリです。そうしたニーズから生まれたのが「くるっと」です。
ーー10月22日、23日に開催された「大阪勧業展」に出展され、社長自らワイヤロープの手編み加工を実演されていましたが、反響や手応えはいかたでしたか。
中村 大阪勧業展には5回出展しました。日頃はあまり営業活動をしてませんので、こういう機会にPRしておこうというのがねらいです。手編み加工の実演は毎回やっており、多くの方が足を止めて見入ってくれますし、人だかりができることもあります。
ロープ加工技能士という国家検定があり、当社には私を含めて1級技能士が10名います。全日本ロープ加工組合連合会が所管しており、私も検定試験に立ち会ったり、問題作成に携わったりしています。ロープ加工職人の社会的地位を向上させるための国家検定です。
父は2002年から3期6年間、全日本ロープ加工組合連合会の第4代会長を務めました。鹿児島から集団就職列車に乗り、大阪に来たのが父15歳のときでした。当時、大阪市内に2社しかなかったワイヤロープ加工会社に就職し、住込みの見習工になりました。1964年7月、父21歳のときに大正区千島の6畳ほどの作業場で、ワイヤロープの手編み加工を始めたのが中村工業の創業です。
その志を受け継ぐために、6畳足らずの出展ブースで手編み加工を実演しています。
ーー座右の銘をお聞かせ下さい。
中村 特別なものはありませんが、挑戦という言葉が好きです。
−−最後に、趣味と健康法について。
中村 おいしいものを食べて、おいしい酒を飲むのが楽しみです。高校時代はボクシングをやってました。
中村哲也(なかむら・てつや)氏の略歴
昭和63年八代学院高校(現・神戸国際大学附属高校)卒業、東京製綱入社、平成2年東京製綱での修行を終え、中村工業入社、17年東京製綱に再度入社、20年中村工業に復帰、21年社長に就任、現在に至る。
大阪府出身。昭和45年12月12日生まれ、43歳。
[本社]大阪市大正区泉尾6−5−40
[資本金]1000万円
[売上高]5億円
[従業員数]25名(ロープ加工技能士1級10名、2級1名)
[TEL]06−6551−3390
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